地域に必要な生活交通を支えるために~奥能登・珠洲市の挑戦~

担当:塩士 圭介(日本海コンサルタント)+トリセツ編集会議ALL

 

 日本海側に大きく突き出た能登半島、その最先端に位置する石川県珠洲(すず)市。「最果て(さいはて)」と称されることも多いこの地ですが、そこにあるのは、禄剛崎(ろっこうざき)灯台や見附島(みつけじま)に代表される美しい里山・里海の風景、豊かな海の幸や山の幸そして美味しいお酒など・・・。こうした珠洲の魅力に惚れ込み、都会の喧噪を離れて移住・定住してこられる方もいらっしゃるようです。

 この珠洲市において、公共交通を支える新たな取組として、「市が主体となった路線バスの無償化」が2022年3月末より開始されました。なぜ、珠洲市がそのような施策を実施するに至ったのか、人の移動を支えるための行政の思いとはどういうものか。珠洲市の取組は全国の過疎地における公共交通維持の一つのヒントとなるのではないか。それらを探るため、トリセツ編集会議のメンバーによる現地視察とヒアリングを2022年6月24日に実施しましたので、その内容をご紹介いたします。

日本海側の外浦にそびえる禄剛崎灯台
七尾湾側の内浦に浮かぶ見附島

注:先般(2022年6月19日)、珠洲市を震源とする大きな地震がありましたが、家屋等に一部の被害は出たものの、甚大なものとはならず、我々が訪問した際には平穏を取り戻していました。

珠洲のまちと交通をとりまく環境

 珠洲市の人口は2022年1月現在で13,334人。直近5年で12%も人口が減少しているほか、高齢化率が50%を越えるなど、急激な過疎化と高齢化が進んでおり、まさに数十年後の日本の縮図とも言える厳しい状況下におかれています。

 一方で、当地は南部の七尾湾に面した「内浦」と、北部の日本海側に面した「外浦」など広い面積を有しており、それらをつなぐ交通の維持がかねてより課題でした。市の主要な商業施設、公共施設はほとんどが内浦側にあるため、外浦と内浦を結ぶ交通はまさに生活インフラとして重要な位置を占めています。

 当地では、かつて、内浦沿いを走る「のと鉄道能登線(旧:国鉄→JR能登線)」がありましたが、2005年の廃止により北陸鉄道グループバスが「転換バス」としてその役割を引き継いでいます。また、内浦から外浦にかけて、国鉄バス(→西日本JRバス)が長く運行されていましたが、2002年に撤退し、これも北陸鉄道グループバスが引き継いでいます。

旧・のと鉄道蛸島駅跡
旧・のと鉄道蛸島駅跡
旧・のと鉄道正院駅跡

 ですが、モータリゼーションの進行と人口減少などに起因する長期的な利用者減少もあり、一部路線バスの廃止や、路線バスとスクールバス統合に合わせて、市営バスを順次運行するなどの公共交通網再編を行ってきた経緯があります。

日本一幸せを感じられる珠洲市を目指して

 そのような中、珠洲市が2016年に掲げた「珠洲市まちづくり総合指針」では、「日本一幸せを感じられる珠洲市を目指して」をコンセプトとして掲げ、さらに、2018年に選定されたSDGs未来都市における珠洲市の考え方の一つとして、「SDGsの観点から、全ての市民が移動出来る社会の実現を目指す」ものとされ、ここから珠洲市における公共交通を根本から見直す動きが始まります。

出典:珠洲市提供資料

運転士不足はここ珠洲市でも

 公共交通を将来にわたって運行していくに当たって、大きな課題となったのが、今や全国的な問題となっている「バスの運転士不足」です。(これについての詳細は別記事をご覧下さい。)特に珠洲市を含む奥能登地区においては、バスの運転士不足及び高齢化が著しく進展しており、今後も運転士の確保が困難であるという見通しがなされました。さらに、民間事業者の見通しでは、車両購入及び維持にかかるコストの増大、利用者の長期的な減少(2014年→2020年で利用者がほぼ半減)もあり、民間事業者による路線の維持は困難であると判断がなされ、市ではその対応を迫られることとなりました。

なぜ無償化?その判断の理由は

 仮に、民間バス路線を全て市営(有償)バスとして運行する場合、珠洲市の財政負担が約1.4倍となる試算がなされました。また、大型二種免許保有ドライバーが不足していること、その一方でバス路線から距離がある交通空白地域への対応などもあり、市としてどのように移動の仕組みを維持していくのかが課題となりました。

 その中で、2019年に珠洲市で開催された「SDGs未来都市シンポジウム」において、過疎地域における持続可能な移動手段として「自家用車による無償運送」という提案がなされたことも契機となり、これまでの有償運行に拘らない様々な検討がなされます。

 その中で打ち出された公共交通再編の方針が、下記の4点です。

  1. 市内の公共交通に関しては市が主体となり、責任を持って運行する
  2. 有償運行に限定しない方法で、コストの削減・将来的なコスト増大を抑制
  3. サービスレベルを調整しつつ、空白地域の解消を目指す
  4. 運転免許証返納者等高齢者の外出機会の創出を図る

 上記の4点は、先述した「SDGsの観点から、全ての市民が移動出来る社会の実現を目指す」という理念と合致しており、それを実行する具体的な行動指針と言えます。

無償化によるメリット(珠洲市の場合)

 そうして議論を重ねた中で、珠洲市が公共交通の無償化に踏み切った理由すなわち無償化のメリットとしては、以下が挙げられました。

  • 市民ドライバーの協力による運行費用の抑制
  • 運転免許の要件が二種免許から一種免許に緩和され、ドライバーの確保が容易に
  • 市の判断により柔軟なルート設定が可能
  • (無償化による)利用者の負担減による外出機会の創出

 こうしたメリットを踏まえ、市としては「市内公共交通の無償化による課題解決」を目指し、路線バスの無償化にかじを切っていくことになります。

公共交通再編・「すずバス」の概要

 公共交通の無償化にあたっては、2019年・2020年にそれぞれ期間を区切った無償化実証実験を実施しており、無償化による利用増加の見通しの検証、必要となる車両サイズの検討、空白地域における無料デマンドタクシー運行などの検証を行いました。その結果、路線バスの利用者が無償化により60%増となり、市民の外出機会創出につながったなどの効果が得られたことになります。

 それらの検討を踏まえ、2022年3月28日より、下記の内容にて「すずバス」の名称で運行を開始することとなりました。

出典:珠洲市提供資料
珠洲市内を走る「珠洲バス」(筆者撮影)

「すずバス」は誰がどのように運行しているのか?

 無償化後の運行形態としては、これまで運行していた民間事業者の運転士及び車両に代わり、珠洲市が所有しているバス(マイクロバス、ノンステップバスまたはワゴン車)による運行となりました。もともと保有していたスクールバスを「すずバス」に活用するほか、一部の車両は今回の再編に向けて市が新たに取得しています。

 無償化に先立ち、2021年6月に、市が保有するバスの運転業務を受託する法人として「一般社団法人すずバス」を設立しました。この一般社団法人の理事には、珠洲市及び市内のバス・タクシー事業者2社が含まれており、地域の関係者(官民)の連携で公共交通の確保をしていることになります。

 市は、一般社団法人すずバスと運転業務に関する委託契約を締結した上で、ドライバーは一般社団法人すずバスが雇用しています(2022年現在12名)。そのうち二種免許保有者は半数程度とのことですが、運転業務未経験者も含め、安全運転講習等の実施により輸送の安全を確保しています。また、運行管理業務も珠洲市が交通事業者へ業務委託をしており、乗合バス事業と同じような運行管理がなされています。

出典:珠洲市提供資料

 参考:国土交通省が作成した「高齢者の移動手段を確保するための制度・事業モデルパンフレット」によると、この方式は、道路運送法における「許可・登録を要しない輸送」として位置付けられます。市が車両の権原を有し、市が運行の責任をもつ無償運行とすることで、道路運送法上の許可や登録を受けることなくサービスの提供が可能とされています。

再編前後のバス路線

 2022年の再編では、民間事業者のバス路線及び従来より運行されていた市営バスをほぼ同じ路線形態で「すずバス」が引き継いでおり、大きなサービス変化はありません。

 なお、珠洲市内には、のと鉄道能登線の廃線後を引き継いだ「転換バス」(主に南部(内浦側を運行)や、金沢と珠洲を結ぶ特急バスもありますが、こちらは従前通り民間事業者(北陸鉄道グループバス)が運行を担っています。これら民間バス路線は有償のままですが、北陸鉄道グループの発行するシルバー定期券(高齢者向け全線定期)の購入助成を行うことで、「転換バス」については高齢者は実質無料で利用できるようになっています。

 「すずバス」及び転換バス・特急バスともに、旧珠洲駅跡に位置する「道の駅すずなり館」または市内中心部の「能登飯田」を起終点にしており、ここから市内各方面へバスが向かっています。

出典:珠洲市の公共交通HP
出典:珠洲市提供資料
すずなり館前バス停(ターミナル)の様子(筆者撮影)

 また、山間部に位置する空白地域においては、最寄りのバス停まで、ボランティアドライバーによる送迎を実施しています。これは、一般社団法人すずバスにより募集・登録されたボランティアドライバーから、予約に応じ法人から送迎を依頼し、ボランティアドライバー所有の車両を使用した空白地域送迎を行っています。

出典:珠洲市提供資料

 これらの再編後、訪問時(2022年6月)時点の評価は、再編前の有償運行に比べて、1日あたり利用者数が30%増加したとのことで、市民の外出促進や生活路線維持など、再編の効果がみられるようです。再編にあたっては、交通事業者及び既存スクールバスとの調整など苦労も多かったとのことですが、住民から「今までの珠洲市の政策で一番良かった」と声をかけてもらえ「担当者冥利に尽きる」とお話されていた担当者の笑顔が印象的でした。

 なお、すずバスの運行時刻表・路線図についてはこちらをご覧下さい。

さいはてのバス停「狼煙(のろし)」
「正院」バス停(奥能登国際芸術祭に合わせ芸術家が手がけた造形装飾)

あとがき:珠洲市の取組から学ぶべきこと~誰のための公共交通?

 ここから先はトリセツ編集会議としての見解になりますが、今回、珠洲市の取組を目にして、我々は何を学ぶべきか。

 「無償化」という選択は、珠洲市自身が関係者などと悩みながら結論を出した一つの答えではありますが、この珠洲市の取組は、(全国で同じ手法が通用するとは限りませんが)同じように過疎地の移動手段確保に悩む地域における一つの方法を提示したと言えます。

 一方で今回、「公共交通の無償化」というキーワードの意味を探るために珠洲市を訪問しましたが、「無償か有償か」という方法論よりも大きな視点、すなわち公共交通の哲学として重要だと感じた点が1つあります。それは、珠洲市が掲げた「日本一幸せを感じられる珠洲市」「SDGsの観点から、全ての市民が移動出来る社会の実現を目指す」という理念であり、それを実行する具体的な行動指針として示された「公共交通は市が主体となって責任を持って運行」という方針を市が言い切ることができる、このブレのない考え方と覚悟に尽きると考えます。その解決の手段として珠洲市が出した答えが「バスの無償化」ということです。

 様々な場所でそれぞれの立場で地域公共交通に携わる中、ややもすると「手段ありき」「収支ありき」「交通事業者による路線維持ありき」といった固定観念に囚われがちですが、そもそも何のために公共交通は必要なのか?誰のために公共交通は存在するのか?という原点に立ち返り、模索をしていくことの必要性を感じた次第です。

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 珠洲市役所でのレクチャーのあと、実際に「すずバス」に試乗しましたが、途中の小学校前バス停で学校帰りの小学生が4名ぐらい待っていました。車内にいる見慣れない大人達(我々)に軽く驚きながら、「今日は静かに乗っていようね」と友達にこそっと話しながら乗車。(たぶん、普段は車内で賑やかなおしゃべりを楽しんでいるのだと思います。)我々が途中で下車したあと、走り際の車内から子供達が手を振ってくれ、こちらも幸せな気持ちになりました。

 こうした地域の人々の日常生活を過ごしながら市民が幸せを感じるまち、珠洲。その幸せを静かに支えるインフラとしての公共交通の重要性を再認識しながら、珠洲の美しい風景と美味しい料理の数々を目と舌で愉しみ、「また再訪したい!」との思いを胸に帰路につく編集会議メンバーでした。

謝辞

 本稿の記事化にあたっての現地視察・ヒアリングに際し、担当課である珠洲市役所企画財政課係長の高井大輔様にはご多忙の中時間を割いてご説明頂きましたことに、深く感謝致します。また、当地の公共交通政策をコンサルティングされている株式会社計画情報研究所の米田亮様には、本視察に際して種々のご調整・ご協力を頂きました。ここに御礼を申し上げます。

 なお、現地視察・ヒアリングにおいては、特定非営利活動法人 持続可能なまちと交通をめざす再生塾(略称:NPO法人再生塾)の塾生有志にも参加頂きました。

珠洲市ご担当の高井様(左端)、再生塾有志メンバー、トリセツ編集者会議メンバー
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